「ル・コルビュジエの建築と都市計画」は、フランス政府が中心となり進められているものです。その内容は、フランス人建築家、ル・コルビュジエ(1887年〜1965年没)の世界各国に点在する建築作品22点を共同推薦し世界遺産一覧表への記載物件として登録しようというものです。
一例としてサヴォア邸<フランス>、クラルテ集合住宅<スイス>、ロンシャンの礼拝堂<フランス>などがあります。その中に日本に存在する唯一のル・コルビュジエの建築作品である西美の本館が含まれています。
参考までに、社会思想研究会出版部刊の「国立西洋美術館」には、“松方コレクションがフランスから日本に贈られるとき、フランス側の希望もあり、また日本側も望むところもあってフランスが生んだ現代建築の世界的巨匠ル・コルビュジエに設計を特に委嘱することになったのである。”とあります。またそれまでの経緯として、最初は「忙しくて、とてもそんな遠方に行って美術館を立てる暇が無い」とニベもなかったル・コルビュジエでしたが、外務省情報文化局の田付辰子事務官が、松方コレクションに対する日本国民の熱意を切々と訴えるうちに、巨匠は身を乗り出し、「私が25年間描き続けてきた美術館の構想を、ひとつ日本でやってみようか」と乗り気になったのだそうです。(新潮社 芸術新潮より引用)
ここでル・コルビュジエという人について少し触れておきましょう。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレといい、1887年にスイスで生まれ、アール・ヌーヴォーの影響下に建築を学び始めました。各地を転々とした後、1917年以降パリで活躍をしました。
20世紀初頭にキュビスムや抽象絵画を生み出した新しい芸術の潮流の中で、理想的で秩序のある構成を目指すピュリスム(純粋主義)を主張しました。その中で雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』を創刊。この雑誌を執筆するために作られたのが「ル・コルビュジエ」というペンネームでした。
建築は、ペレ、ベーレンスに短期間師事したほかは独学で、1927年、ジュネーヴの国際連盟本部の設計コンペティションに当選して建築家としての名をあらわしました。
ル・コルビュジエの設計は、当時としては大変ユニークな設計でした。彼は新しい建築のための五つの要点、つまり
・ピロティ
・屋上庭園
・自由な平面(フリー・プラン)
・水平に連続する窓
・自由な立面(フリー・ファザード) |
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というものを集約して発表したのです。これらは、それまでの石造りの壁で建物を支えて作る建築物とは違い、鉄筋コンクリートの技術が発明されてこそなしえたものでした。
西美の本館もその特有な特徴を持つ貴重な建築物なのです。
※本館建物のヒミツは第5号をご覧下さい。
→「もっと知りたい!国立西洋美術館 第5号」
今、台東区は「国立西洋美術館世界遺産登録上野地区推進委員会」「台東区国立西洋美術館世界遺産登録推進会議」と協力し合い、上野の町に「国立西洋美術館を世界遺産に!」というキャッチフレーズを書いた垂れ幕やのぼり旗を飾り、登録を応援しています。
世界遺産一覧表への記載の可否が決定するのは今年の6月末。楽しみでもあり、ドキドキですね。 |