2009年、国立西洋美術館は50周年を迎えます。

展覧会

国立西洋美術館開館50周年記念事業「かたちは、うつる―国立西洋美術館所蔵版画展」

会期:2009年7月7日(火)〜8月16日(日)

■半世紀間のグラフィック・コレクション

国立西洋美術館は今年、開館50周年を迎えます。この半世紀間は当館にとって、さまざまな研究活動や展覧会事業の蓄積の過程であったと同時に、なによりも作品収集、独自のコレクション形成の歴史でした。当初、フランス政府より寄贈返還された松方コレクション計370点とともに開館した当館は、それ以後の継続的な収集活動によって、今日では4,547点の所蔵作品(平成20年度時点)を抱えるに至っています。なかでも、開館当時には24点を数えるばかりであった版画のコレクションは、現在では3,747点にまで膨らみ、いまや当館の所蔵作品全体のなかにも、かなり大きな比重を占めるものへと成長しました。そこには、ルネサンス期のデューラーらにはじまり、17世紀のカロやレンブラント、18世紀のピラネージやゴヤ、19世紀のドーミエやクリンガーなどに至る、西洋版画史を語るうえで欠かすことのできない重要な芸術家たちの有品が、数多く含まれています。本展はこうした当館自身の版画コレクションを、若干の素描作例及び書籍とあわせた約130点によって、はじめてまとまった形で紹介する機会となります。

■内容

本展は、大きくは二部構成をとります。二つのパートを繋ぐのは、「うつる」ないし「うつし」という語です。この言葉には、「映」、「写」、「移」・・・といった、複数の意味合いがあります。本展では、この多義的で曖昧な日本語を、あえて西洋美術へのアプローチに用いてみたいと考えます。
具体的には、まず第一部の『うつり、現出するイメージ』において、芸術家たちがいかに「うつし(映し/写し)」や「うつろい(移ろい)」といった現象に魅せられ、さまざまに肖像や風景の「イメージ」を生み出していったか、あるいは、神のような超越的で把握しがたい存在を、どのようにして具体的な姿、いわば現世的な肉体を持った「うつせみ(現せみ)」として描こうとしてきたかということを、個別のテーマごとに見ていきます。次に、『うつり、回帰するイメージ』と題された第二部では、とくに人間身体や情念的な身振りの「イメージ」が、しばしば定型的な「かたち」を与えられ、時代や地域の制約を超えてさまざまに反復・変奏されていく事例を示します。それは、かつて美術史家アビ・ヴァールブルクが「情念定型」――古代に起源を持つパトスに満ちた身振り表現――と呼んだものを、ルネサンス以後、近代にいたるまでの作品のなかに複数見出していくような試みとなります。つまり、この第二部での「うつる」とは、「かたち」がさまざまに伝染し、時間と空間を超えながら移動し、その性格を変化させていくという意味でのものです。こうした「うつる(移る)」について考えるとき、複製可能で広範囲に伝播しうる版画という媒体は、特別な意味を帯びてくるはずです。

■展示構成

序 うつろ――憂鬱、思惟、夢想
展覧会の「序」として、頬杖をついて虚空を見つめる、定型的な「憂鬱(メランコリー)」の人物像の系譜を辿ります。デューラーからレンブラント、ゴヤやクリンガーらへといたる図像の継承と変容は、本展の内容を簡潔に要約していると同時に、「メランコリー」に捕らわれた者の思考や夢想が、さまざまな「イメージ」を現出させていくという意味で、展覧会本編への導入部となります。

〈主な出品作〉

  • アルブレヒト・デューラー《メレンコリアⅠ》
  • レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《蝋燭の明かりのもとで机に向かう書生》
  • フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《理性の眠りは怪物を生む》
  • マックス・クリンガー《夢》《ある生涯(15点連作、表題葉2、帙入、第3版15部のうちのひとつ)》
  • ジョルジュ・ルオー《連作「ミセレーレ」中の一点》

第一部 うつり、現出するイメージ

泉に映る自身の姿に恋をしたというナルキッソスの神話(オウィディウス)や、コリントスの娘が壁に映し出された恋人の影をなぞったという肖像の起源に関する物語(プリニウス)を参照しつつ、美術史上の「顔」や「横顔」の表現を辿る『うつしの誘惑』、また、光の変化や時間のなかで移り変わる光景に焦点を当てた『うつる世界』、さらには、理想的な身体表現や解剖学的な人体描写を扱った『うつしみ/うつせみ』といった、複数のセクションによって構成されます。

〈主な出品作〉

  • オノレ・ドーミエ《古代史23 「美しきナルシス 彼は若く美しかった、うっとりとやさしい息吹で/そよ風がほら、妙なる輪郭にそっと指を滑らすよ/泉の鏡なす水面に向かい/ためつすがめつするのが好きな、私らと同じホラ穴のムジナるしす」(ナルシス・ド=サルヴァンディ氏秘作の、肩の凝らない4行詩)》、〈古代史〉(50点連作)より
  • アンリ・マティス《版画を彫るアンリ・マティス》
  • レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《東洋風を装った自画像》
  • ウジェーヌ・ドラクロワ《ゲーテの肖像》、「ゲーテ『ファウスト』による連作(17点連作およびゲーテの肖像)」より
  • クロード・ロラン《フォロ・ロマーノ》
  • ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ《フォーロ・ロマーノ、カピトリーノ丘から望む》
  • ルカス・クラーナハ(父)《聖ヨハネス・クリュソストムスの悔悛》
  • ロドルフ・ブレダン《死の喜劇(ロドルフィーユ版 25部限定)》
  • ジャック・カロ《パリの景観:ルーブル宮の見える光景》
  • カナレット(ジョバンニ・アントニオ・カナル)《司教の碑の見える町》
  • アルブレヒト・デューラー《アダムとイヴ》
  • アゴスティーノ・カラッチ《悔悛する聖ヒエロニムス》
  • ロッソ・フィオレンティーノ(版刻:アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ)《死と名声の寓意》

第二部 うつり、回帰するイメージ

この第二部も、『落下する身体』、『受苦の四肢』、『輪舞』・・・といった複数のセクションからなります。こちらでは基本的に、情念的な身振りを持った身体表現に焦点をあて、それらが時代や地域を超えてさまざまに反復されるという問題を扱います。たとえば、15世紀から16世紀にかけてデューラーらによって度々描かれた「受難」のキリストの形態が、近代になってゴヤが〈戦争の惨禍〉で示したような民衆たちの苦しみの姿と、不意に重なって見えるといったこと。あるいは、いままさに斧や棍棒などの凶器を振り上げ、心的高揚の頂点にあるような情念的な身体描写が、その暴力の意味合いを変えながらも、類型的な身振り表現として美術史上に繰り返し登場するという問題などです。

〈主な出品作〉

  • バルトロメオ・コリオラーノ(原画作者:グイド・レーニ)《ユピテルの雷電に押し潰される巨人族(上部/下部)》
  • アルブレヒト・デューラー《哀悼》、〈銅版画受難伝〉より
  • フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《彼らはここまでむしり取る》、〈戦争の惨禍〉(80点連作)より
  • ウジェーヌ・ドラクロワ《ハムレットの死》〈シェイクスピア『ハムレット』による連作(13点連作)〉より
  • アンドレア・マンテーニャ《海神の闘い(左半図)》
  • ヘンドリク・ホルツィウス《ヘラクレスとカクス》
  • ウィリアム・ホガース《残酷の第2段階》
  • フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《同じことだ》、〈戦争の惨禍(80点連作)〉より
  • オノレ・ドーミエ《夫婦善哉18「なにが事務所で徹夜よ、このウソツキ男!そんなこと言っても、ちゃらちゃらした女どもとミュザールへ踊りに行くんでしょうが!・・・」》
  • マックス・クリンガー《舞踏の準備》、〈天幕〉(46点連作)のうち第II部(24点連作)より
  • フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《陽気の妄》、〈妄〉(18点連作)より
  • オーギュスト・ロダン《ロンド》

本展はこのように、個別の時代や地域、特定の表現主題や様式を扱う展覧会ではありません。またそこには、展示全体を貫くような、一定の編年史的な構成もありません。むしろ、生きた時代も地域も異なる芸術家たちの作品を並べてみることで、作者間の影響関係といった問題には必ずしも収まらない、不意の形態的類似を考えようとする展示構成になります。それは、当館が半世紀間で築き上げてきたコレクションのなかに、思いがけない関係性の網目を見出してみようという試みです。

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