本文へ

当サイトでは、お客様の当サイトの利用の向上、アクセス履歴に基づく広告、本サイトの利用状況の把握等の目的で、クッキー(Cookie)、タグ等の技術を利用しています。「同意する」ボタンや当サイトをクリックすることで、上記の目的のためにクッキーを利用すること、また、皆様のデータを提携先や委託先と共有することに同意いただいたものとみなします
詳しくはプライバシーポリシーをご覧ください。

「聖ステパノ伝」を表した祭壇画 プレデッラ3点

マリオット・ディ・ナルド
活動記録1394年 - 1424年
「聖ステパノ伝」を表した祭壇画 プレデッラ3点
1408年
テンペラ/板
説教する聖ステパノ/ユダヤ法院での聖ステパノ
テンペラ/板 30 x 57.3 cm
P.1993-0001

詳細はこちらから

聖ステパノの殉教/聖ステパノの埋葬
テンペラ/板 29 x 53.9 cm
P.1993-0002

詳細はこちらから

聖ステパノの遺体を運ぶ航海/聖ステパノと聖ラウレンティウスの遺体の合葬
テンペラ/板 29.6 x 57.5 cm
P.1993-0003

詳細はこちらから

これら3点の作品は、本来、イタリア中世後期にさかんに制作された大型の多翼祭壇画(ポリプティク)の下部の層をなす「プレデッラ」と呼ばれる部分を構成していた絵である。もともと左から右へ、(1)-(2)-(3)の順で並べられ、一人の聖人の生涯を物語として展開している。マリオットはこの祭壇画を、フィレンツェ近郊のサント・ステーファノ・イン・パーネ聖堂にある世俗同信会の礼拝堂のために、1408年に制作したことが判明している。しかしこの祭壇画は、のちにばらばらに散逸してしまった。同じ祭壇画に由来する他のパネルは、現在アメリカのミネアポリス美術研究所、ポール・ゲッティ美術館、グランド・ラピッズ美術館に所蔵されている。
本作品は、初期キリスト教時代の聖人である聖ステパノの物語を表している。ステパノの生涯は、新約聖書の「使徒行伝」と、中世に著わされた聖人伝「黄金伝説」の中に詳しく記されており、彼はエルサレムのユダヤ法院で説教を行い、キリストを処刑した人々の頑迷をとがめたため、石で打ち殺された。この出来事により、彼はキリスト教の最初の殉教者となった。3点の作品は、建築モティーフあるいは風景モティーフによってほぼ均等に左右の場面に分けられ、合計6つのエピソードを描いている。
(1)-左:ステパノ(青い助祭服を着る)は女たちに囲まれて説教をしている。異教徒の2人の老人がステパノと議論をするが、対抗できない。
(1)-右:ステパノは大勢の老人に囲まれて建物の中にいる。場所は、ステパノが引き立てられたユダヤの法院で、聖者は大祭司と長老たちを論難する。
(2)-左:ステパノは激怒した人々によって石で打たれ、殉教する。
(2)-右:埋葬されるステパノ。
(3)-左:イエルサレムに滞在していた総督の妻ユリアナは、夫の遺骨と誤って、ステパノの遺体を舟でコンスタンティノポリスに運ぶ。その航海の間、悪魔が嵐を起こす。
(3)-右:テオドシウス帝の命により、ステパノの遺体はコンスタンティノポリスからローマに移される。そこで、聖ラウレンティウスの遺体とともに合葬された。
つまり、聖人伝の物語的連作という伝統的なテーマを、ちょうど絵巻物のように横方向に展開させているわけである。生き生きとしたテンペラ絵具の色彩、いまだ中世的な空間構成など、イタリア後期中世の物語画の様式を典型的に示す作例である。とりわけ、3番目の作品に見られる想像力豊かな海景の描写、埋葬の場面に見られる人物たちの性格づけの巧みさは、このパネルを特に魅力的な一品にしている。

(出典: 国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2006. cat. no. 3-5)

写真:マリオット・ディ・ナルド 説教する聖ステパノ/ユダヤ法院での聖ステパノ
(© Copyright NMWA) 写真:マリオット・ディ・ナルド 聖ステパノの殉教/聖ステパノの埋葬
(© Copyright NMWA) 写真:マリオット・ディ・ナルド 聖ステパノの遺体を運ぶ航海/聖ステパノと聖ラウレンティウスの遺体の合葬
(© Copyright NMWA)